南望 備忘log

北海道立文書館(ほっかいどうりつもんじょかん)別館2012年11月11日 13:26

BIG EGGSで学校に向かう途中、いつも見かけるえらくカッコイイ、アールデコ様式の建物が北海道立文書館(ほっかいどうりつもんじょかん)別館。

北海道立文書館(ほっかいどうりつもんじょかん)別館

 かっこいいなあ。こんな場所で仕事がしたいなあ。
 遠い昔、AKIRA連載中、師匠もさることながら、故今敏氏とか、周りの連中も一時期むやみにアールデコに傾倒していた。作中の何から何までアールデコにしていた時期があったなー。

 そういや、その頃、PARCOの装飾とか、当時エレベーターガール(がいた!)の服装もアールデコだった!

 アメリカが、ヨーロッパの伝統的な装飾を片っ端から取り入れて、下品のきわみだと世界の顰蹙を買っていた(今では、歴史的建造物扱いされている装飾過多の建物ですら創建当時はキワモノだった)時期を脱して、世界もアールヌーボーを経て新しい時代の潮流に押し流されて文明を感じさせる建築様式へと変貌してゆく時代、アールデコはアメリカでひとつの完成を見たわけだ。

 それぞれの国で、それぞれの様式を引きずった上品なアールデコ様式が完成して行ったけれど、おそらく伝統がない分、アメリカでは、より自由な発想で飛躍出来たんだ。

 映画バットマンのゴッサム・シティがデザインされるたびに、パラレルワールド的な、未来におけるアールデコの進化形が提示されるのはとても楽しい!

 自分も、アニメ「メトロポリス」で、アメリカじゃないアールデコのひとつの体系として、オーストリア(オットー・ワーグナーのデザインの系譜、ウィーン分離派(ゼツェッシオン))が世紀末から更に発展を続けて、ソ連のスターリングラードへと続くパラレルワールド的な未来像を提示したが、りん監督には理解してもらえず、途中でデザイン的夾雑物が入り込み、わりと凡庸な世界観に終わってしまった。

 面白いのは、当時、建築は装飾をしないといういうことがとても勇気のいることだったということ。日本人にはなかなか考えにくいけれど、当時、ヨーロッパでは空間恐怖症的に装飾を施さないと建築は完成しなかった。あまりに何もない日本の集合住宅なんか、「住宅は住むための機械である」という名言を残したル・コルビジェ的には理想的な出発点なのかな、なんて思ったりしたものだった。

 でも、BD(バンドデシネ)作家が当たり前のようにして描く装飾的建築物が、日本人には相当無理しなければ描けないという現実は、最初、とてつもない壁のように思われたけど、先日の学校での森本晃司氏の話にも有ったように、身の周りを注意深く観察して再構築すれば、面白い世界は出来上がるって事だ。

 リドリー・スコット監督の作品には「立ち食いそば」「雑多なネオンサイン」「商店街に下がるプラスチック製の桜の花」「デコトラック」など、日本人にはおよそ見慣れたつまらないものが彼の目を通し再構築され、我々日本人が見たことの無い異物のように出現する驚異!

 まだまだ、新しいものが身の回りから発見される余地はあるんだ。



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