孤独のグルメ ― 2013年02月24日 23:59
音楽もいいなー。ブルース基調の腰砕け歌詞がやっぱり、久住昌之だ!
ラーメンみづのからも花束が来ていた。久住昌之氏の大好物らしい。
ここが、みづのだ。
生姜ラーメンが絶品の店だ!他のメニューもいろいろ有って、頼んでみたいけれど、必ず生姜ラーメンは頼むので、結局、他のものは一度も注文できないでいるらしい。
おそらくこれからも、他のメニューは頼むことはできないだろうから、みづのの生姜ラーメン以外のメニューという謎に一生思い苛まれる予感にとらわれてるようだった。
ほんと、トレードマークの笑顔がかわいい!
右が、市のO氏だ。旭川の将来はこの男の双肩にかかっているのだ!がんばれ、ミスター旭川市!まけるな、雇用創出促進協議会!
ギターもウクレレもこなす。しかも美声!今日は、現地調達ということで、なんと忌野清志郎画伯の絵のプリントされたウクレレで演奏した。
曲がったことが嫌いなんで、楽器もソプラノサックスなフクムラさん。
しかし、久しぶりにずいぶん、飲んじまったぜ。
例の旭川名所で記念写真。
というわけで、CDもゲット。
井の頭五郎役の松重豊さんはほんとに毎回腹をすかして撮影に望み、ほとんど撮り直しとか無しに完食するんだそうだ。
さて、明日は・・・ってもう今日だが、昼から例の「旭川市雇用創出促進協議会]のセミナーだ。これにもちょっくら出掛けて雇用創出促進協議会。
森 やすじ さん ― 2013年02月09日 12:31
旭川こども富貴堂、そして「ホルスの大冒険」 ― 2013年01月28日 13:59
堀川真さんという旭川在住の絵本作家の方がそこで原画展をしておられたんだが、その最終日にお会いできることになったんだ。
札幌在住の森雅之さんが、旭川にこんな奴がいるよと堀川さんにおいらを紹介してくれたらしい。ホント、ありがたいなー。持つべきものは親切で顔の広い友人だ。
・・・森さん、ありがとうございます。おかげさまで、こちらに来て二年、ようやく、いろんな人と知り合うことが出来ましたよー。今度、札幌でお会いするときには奢ります!また、「WAITS」につれてってくださいな。「WAITS」のマスターがここに時々来て、覗いてくださってます。で、「呑み屋のおやじ」って名前でコメントも残してもらってます。ありがたいこってす。みんな、森さんのおかげです。札幌方面に足向けて寝られません。
こども富貴堂の二階で寄り合いのような打ち上げ(・・・実際は何の打ち上げなのかもさっぱり分からず)があったようで、堀川さんに連れられ、そこににお邪魔させてもらい、知らない人々の中で酒を飲んできた。
札幌からどなたかが講演に見えていたらしい。福島から来ているという方や、作家の方、新聞社の方などが集まっていたらしいんだが詳しいことは分からずじまい。すんません、何も知らないでお邪魔させていただきました>皆様。
・・・というわけで、堀川さんと話をしていて、一番盛り上がったのは「森康二」さんのことだ!
うれしいなあ、森康二さんはじつは、中学のときに『太陽の王子 ホルスの大冒険』(たいようのおうじ ほるすのだいぼうけん)を観て、テロップで名前を知り、ファンレターを書いて、それからしばらく毎年、年賀状までいただいていたんだ。進学の際にアニメの世界に行くにはどうしたらいいでしょうという、こどもっぽい相談にも真摯にアドバイスを送っていただいた。
曰く、・・・今はアニメの業界はガタガタです。可能であれば進学されたほうがよろしいかと思います・・・というような内容だったな。そのとき、驚いたことに森康二さんも当時、ロボットアニメを東映動画でやらされている・・・というような話だった。うーん、それはそれで見てみたい!
森康二さんに、「ホルスの大冒険」のヒルダがいかに魅力的だったかを手紙に書き連ね、挙句の果てにヒルダを描いてほしいとお願いしたところ、森さんは肉筆で彩色されたはがき大の絵を送ってくださったんだ!ま、なんて恥知らずなお願いをしたんだろう!
残念なことに、この絵はある漫画研究会の連中との交流の中でなくなってしまった。返してくれよ、本当に!
おそらく今のように情報が簡単に手に入る時代ではなく、ましてや北海道の中学生が講談社の小学校低学年用の学年誌に描いてあった見開きの絵の下に「え・もりやすじ」という署名があったことから、講談社に手紙を書いて森先生の連絡先を聞き出して連絡をしてきたこと、また、ヒルダのキャラクター設定デザインを森康二さんがされていた事を、この中学生がどうして知りえたのか?という疑問。
そのことが、おそらく森康二さんの関心を引いたのではないかと振り返ってひそかに納得してみたりしているんだ。
どうして、ヒルダのキャラクター設定デザインを森康二さんがされていた事を、この中学生は知りえたのか?それは実は単なるまぐれ当たりだったのだな。知ってるわけがないよ。
森康二さんの名前も実は映画のテロップで大量にスクロールする名前を暗記していたつもりだったものが覚えていたのが森康二さんの名前だけだったというもの。本当に偶然だったんだな。
それでも、講談社の学年誌で森康二さんの絵を見たときに、トリハダが立って、すぐに東映動画のあの絵だと分かったのは、やっぱり森さんの絵が好きだからだったからなのは間違いない。
それからなんと、森さんには「ホルスの大冒険」のセルを送ってもらった。
堀川さんにそのことを話したらえらくうらやましがられた!それだけでも話した甲斐があったってモンだ。
これが噂のヒルダだ!
セルには当時、鉛筆描きの動画もついていたんだが、そのままおいておいたところ、全部、絵の具にくっついてしまったんだな。
あわてて違う紙を間に挟んで保存したわけだ。でも、その紙が変色して黄色くなってしまってこんな色になっているわけだが、もう、くっついているんではがすことができない。
鉛筆描きの動画もはがすのが間に合って助かったモノもあるけれど、はがそうとして破れてしまったものもある。
それにしても、コピーマシン出現前のハンドトレースの線はすごすぎる!まるで雲形定規でも宛てて引いたかのように完璧な線だ!残念なことに、失われてしまった技術だ。昔のスタジオの写真を見ると、女性達がたくさん、この仕事に携わっていた。
そしてホルス!ちょっとより目のキャラデザインは大塚康生氏によるもの。その後の「ひとりぼっちのリン 」など池上遼一キャラが少しより目で、とてもスキだったのはこの頃のホルス好きの影響かも。
当時の中学生にはこれがカッコよかったんだ。オープニングの狼との格闘シーンにはいきなり引きずり込まれた!まさに、つかみをいきなり持ってくる王道ともいえるオープニングだった!
主題歌のイントロもよかった!いきなり、やられたな、当時!
その後、サイモンとガーファンクルの「スカボロフェア」がヒットして、あのスケールがケルト風であることが分かったんだが、時期的にどちらが早いってわけでもなさそうで、まさにシンクロニシティ的な一致だったような気がする。
キャラがみんなかわいい。森さんの女性と動物の繊細な動きは神がかり的だ。
我ながらナイス!当時の新聞まで取ってあった。日付は昭和43年7月19日。今はなき、旭川東映!それにしても、この経年変化というか劣化には目を見張るものがある。それもそのはず、45年も前の新聞だ!ずいぶんと時が過ぎてしまったもんだ (ಥ_ಥ )
この新聞の上半分。おいらと同じかそれより前の世代の旭川のジジババには涙モノのものの「亀や」の広告まで載ってるぞ!この頃おいらはすでに中学生だから、モデルはもっと若い世代だな。それにしても、料理のデザインが悪いんじゃない?こんなもんだっけ??
「十字屋」と「亀や」!こんな広告まであったなんて、久しぶりに引っ張り出してびっくりしたー。
残念ながら、このテレビ欄は金曜日。夜、12時には放送は終了していたんだね。あの頃にしびれていた(表現がすでにあの時代に戻ってるなー)「ナウ エクスプロージョン」は、土曜の夜で更に深夜までやっていたんじゃなかったっけか?あ、もう少しあとだね。上のリンク、misoの末裔さんの記事に、・・・「Now Explosion」71年8月7日から72年4月29日まで毎週土曜深夜0:00-1:06に放送された「ナウ・エクスプロージョン」という番組があった。・・・とあるな。
若松孝二監督作品 ― 2012年10月18日 23:52
――どんな映画を準備しているか。という問いに監督は、
「3・11大地震と福島原発事故に対する映画だ。真実を隠そうとする彼らに対する怒りを入れようと思う。沖縄 慰安婦に対する作品も作る考えだ」
なんて語っていたという話で、今回の事故は東電による陰謀説まで出ているようだ。
ともあれ、不思議な事に2chで若い連中が、監督に対し、的外れな中傷を繰り返しているが、確かに、現代史を教えてこなかった教育の弊害がこんなところにも如実に現れているようだ。もともと、守るべき信念も事実への確信も育ってこなかったんだから仕方がないのかもしれない。彼らの歴史への執着は、写真を集めるレプリカントみたいなモンだ。
AVビデオでのみ性の知識を蓄えた少年が、初体験で顔射をあせったという笑い話にもならない現象と似ている。生半可な知識とデマが行動の動機を決定付ける。でも、これを笑っていられるのはまだ、彼らが無意識に育てている怪物が成長していないからだぞ。
迷信が事実として、常識と入れ替わり、無知蒙昧を取り込んだ社会的潮流になって暴れまわるという現象は今後いつでも起こりうる。今回の中国の反日暴動も然り。支配者にとって、とても扱いやすい暴力装置になることが証明された。・・・というか中国はそればっかり。文化大革命が残した数少ない成果だ。
極端な話にこそ真実が宿っているような錯覚が支配的な昨今の論調だ。とても勇ましく頼もしく思われ、若い連中を中心にひきつける魅力を持っている。もっとも、真実は宿るものなんかじゃないんだが。(真実なんて、宿るどころか、まとう物だと言う意見もあるでしょうが・・・)
サミュエル・ジョンソンは、「愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」と言った。ネトウヨ(ネット上の右翼シンパ)を見ていると、つくづく事実であると思う。
声のデカイ者が他を圧倒し、冷静で責任感のある人間は同じ場所に立ち続けることも危うくなって行く。ネトウヨは顔を出さないですむからなおさら無責任で大胆なことがいえるわけだ。
ネットの中で、特にリアルが残念な連中を中心に、自分たちで作り上げた、軽薄なナショナリズム的連帯感が支配している気がする。
それでも、時代が傾斜してゆく現場に立ち会っているんだろうか?と、ふと、心配になったりもする。東条英機ですら好戦的な市井の声にあきれていたという。いざ取り返しのつかない結末を迎えたとしても、当時の好戦的な市井の声をあげていた多数の人々は被害者面をして施政者をなじる事で罪を逃れたようにネトウヨも無関係を決め込むだけなのだけは分かっている。だが、数の論理は常識やモラルなんてあっという間に乗り越えるからね。
国益がどうとかとか、分かったような分からんようなことで監督を貶めようとする書き込みにはうんざりするが、ご本人はヤツラにいくらなじられても屁でもないどころか、足に絡まっている事に気がつきもしなかったんじゃないか?
昔、社会的なルールを無視する度合いが極端なほど尊敬される反社会的な組織にあっても、その中でしか通用しないローカルルールは堅持されていた。そこを構成するアウトローにしても、ホントは守るべきルールを渇望していたんだな。それだけ守る価値のあるルールという意味だが。
そのためには求心力としてのカリスマが絶対必要不可欠だ。この世界にあっては、度胸と腕力と知力と人徳がものを言う、野生の復活こそ希求してやまない永遠のテーマだったはずだ!かつての、少年たちの血沸き肉踊る興奮は正義感と一体となって、人格を形成したはずだ。
これは、民主主義とは相容れない美意識の問題だ。でもそれは政治家にも、教師にも、医者にも求められる気質なのだ。ホントはね。
このあたりの定規を持たない輩が正義を語っても、人の共感は得られないが、不思議な事に戦後の教育はこれらの義侠心(と言い換えても良いと思うが)を理性で駆逐する事を推し進めて、最終的には無価値な前時代的遺物として葬り去った。それなのに口では助け合いや思いやりを強調する一方で、狡猾な犯罪者の人権を被害者を踏みにじってまで擁護するやからを理性のある文化人扱いする。これじゃ、子供たちがノイローゼにもなるよ。生まれながらにHAL9000と同じ目にあっているんだ、今の子供たちは。
義侠心に由来する行動は理屈ではなく、リビドーに近いものだから教育の現場で更生させようとか言っても、音楽の知識を文章で説明しているようなもんで土台無理な話。そもそも、更生すべき種類のものだったのか?みんなだまされてるぞ!戦後民主主義に!つまりはアメリカの植民地政策って事なんだが。
義侠心なんてものがなまじ大事にされた上に、短慮なおっちょこちょいが戦闘力を持ったらなかなか手ごわいんで、戦後民主主義はこれを無力化するために理性を重んじ義侠心を軽蔑すべき古い概念として教育したんで、熱き心の捨て所をなくした若者たちがノイローゼになって行った訳さ、きっとね。まあ、結果的には民主主義なんて日本には結局根付かなかったんだけど・・・というか、日本ローカル版民主主義というへんてこなものは出来上がったわけだが。
戦後の混乱を救うために現地入りするアメリカのスタッフはきっと否定するだろうが、更に上部の意思は、いつも完璧な平和や安定が現地にもたらされないように、何らかの混乱が常にその国を泥沼に留める装置を用意することにあると思うんだがどうだろう?あの偽書「シオンの議定書」にある、長老たちが世界を支配するための知恵のようなもんだ。
日本に対しては、この分裂症的ジレンマを内包した教育方針だったんじゃないか?アンビバレンツ注入方式だ。ばっちり効いてる。
・・・と、そこまでアメリカが計算していたかどうかは分からんが、あまりに完璧な混乱が今の日本を支配してるから。まあ、アメリカ本国も混乱してるんだが。ますます「シオンの議定書」のとおりに崩れて行ってるぞ。
おっと脱線しちまったぜ。つまり、若松孝二監督の怒りは、この出来損ないの民主主義に対するものだったんじゃないか思うわけだ。
何かに寄りかかったり、追随したり、甘えたり、要するに腑抜けに対していつも怒っていたんじゃないのか?その意味では我が愛してやまない故忌野清志郎氏の若い時分とも似てるなあ。・・・というか、昔若者って、みんな何かに怒ってなかったっけ?若い頃の故忌野清志郎氏は、あのメイクをしないときはごくシャイな若者だったんだよね。「スローバラード」の歌詞の構造はまるでドグラマグラだった。入れ子になっているんだ、構造が。カッコいいなあ!
また脱線しちまった!・・・戦後から今に続く日本の「野生が開放される事」を極端に禁止してきた平和偏重の代償がいろいろなところで決済を迫られている。陰湿ないじめの蔓延や、シロアリ的に社会の財産を食いつぶす天下りの役人OB。退廃と無気力に支配された若者。生ぬるい正義を振りかざし、理論武装した弁護士、保身に走る教師、政治家!挙句の果てにこんな社会に絶望して自殺する若者。だんだん腹が立ってきたぞ!
誰も責任を取らないというこの国の体質は、第二次大戦で責任を取る人物が早々に全滅してしまい、残りも極東裁判でみんな一掃されてしまって以来、延々と続いていて、その後姿を見て育った若者に、自分の言動に責任を持てといっても唇が寒かろうというものだ。だが、怒ってるんだ!ほんとに!みんな!・・・ほんとはね。
そうか、分かったぞ。若松孝二監督の本質は怒り!そして向ける先は、「最初は怒っていたはずなのに、やがてあきらめて、自分が軽蔑してやまなかった怒りの矛先にあったバカの姿にすっかり成り代わってしまっている事に全然気がつかない有象無象」だ。あー長いな。
John Singer Sargent ― 2012年06月23日 18:17
リンクのほうに、載せながら気がついたんだが、こりゃリンクというものとはちょっと違うよね。そんで、ブログのほうに後から移して行くことにしたんだ 。
もっともベラスケスの『ラス・メニーナス』のパロディは山ほどあって、ピカソですら描いてる。ダリもだって。
ヴァーチャル絵画館 ジョン・シンガー・サージェント
15世紀の肖像画を思わせる真横からの造形が美しいこの女性、とても身分が高そうだが、どうやら、向かって左の肩紐が落ちていたらしいんだな、最初は。 ・・・それだけ?
としても、それがなんでスキャンダルになるのかって言うと、やっぱり、肖像が、リアルだったことから、当時社交界で有名な人物が特定できた事(Xって、やっぱり匿名という意味だったんだろうけど)と、そのだらしなさが官能的とか下品とかで実際、完成した絵の受け取りを拒否されたりと、まあ、大変だったらしい。・・・もったいないなあ。今の感覚から言うと、やっぱり、よく分からんが。
別に何か、作為的なものは感じられないけど。
横顔が特徴的。なんでそんなに目くじらを立てなきゃならんかったのか、やっぱり、よく分からん。社交界は”謎の世界”なんだな、一般庶民には。
そういえば、むかし、師匠がヨーロッパに行って、メビウスやらシュイッテンらと初めて交流を持ったときに、帰ってきてから盛んに、
「向こうのやつらは、生まれ以外のほかのこと、たとえば才能とか、事業とかで成り上がった者を軽蔑するような態度をとるんでムカつく!」
みたいな事を言ってたな。要するに、そういうことなんだ。
ホントは、少年の頭部を描いた魅力的な絵があって、ここに置きたかったんだけど。
どこかで見た事があるんだけど、ネットで調べても分からない。>教えて、知ってる方。
少年少女がうまい画家は最高だ。おそらく人生の一番琴線にふれる部分を忘れていないんだ。誤解を恐れずに言えば、人生は子供の時代を送るためにあるって言う人がいるくらいだからね。荒波の中を潜り抜けてゆがむ前の、神に祝福されたままの姿に、不安とか傲慢とか不遜とか無垢とか、恥じらいとかいろんな宝ものが入ってる。
でも、それが、少数派の意見であったうちはよかったけど、今の時代はそこにしか価値がないように思い込んでいる、「若さ偏重」主義者が大多数の軽薄な時代になっちゃった。持っているものは、それをひけらかし、駆使できる老獪さを身に着けているものが幅を利かし、自分をマテリアルとしておもちゃにできる柔軟さを若いうちから獲得することが普通になってきた。情報にさらされて、猛烈なスピードで老成してしまうんだね。
そんな生まれながらの財産を、努力や忍耐によって違う価値のものと置き換えてゆくのが人生だとしたら、今は、置き換えるのを拒んで後生大事に持ってる連中があふれている。それは生ものですよ?交換期日が迫ってます。いつまでも大事にしていても、変質しちゃうんだからね。
昔はみんなそんな事は百も承知してたから、せめて若いうちは夢を見せてあげたいと、親が子のために努力したもんだったが、今は、親までピーターパンだからなあ。って、人のことは言えないけどね。>自分のことだろ?そうです(T^T)
まあ、そんな価値観が支配的だから、若さを持ってる者から奪ったり、傷つけたりといった事件が多発してんじゃないの?って思うけど。
ああ、また余計な事を考えちまったぜ。そうそう、この絵は、エキゾチックな頭部の形が特徴的。首の長さと、肩の骨、足首の細さ、小さい胸!そして何より肌の色。人種的な魅力を存分に表現してるから、いまだったらアルカイダの標的にされかねないな。逃亡しようとして、鼻を切り落とされた美しい女性の記録を以前、放送していたのを思い出すよ。世界観は正義の質まで変えてしまう。美しさは、永遠の謎なんだよ。人の一生のある一瞬に訪れる、奇跡のような瞬間なのに。
人種的な魅力といえば、造形的な魅力もあって「アナカプリの少女、頭部」はホント、すばらしい!とてもポップな印象だ。真横からの造形は最高にエキサイティング!
いや、・・・この内容で高いとはいえないかも。すごい本です。Abbeville Press!
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