若松孝二監督作品 ― 2012年10月18日 23:52
――どんな映画を準備しているか。という問いに監督は、
「3・11大地震と福島原発事故に対する映画だ。真実を隠そうとする彼らに対する怒りを入れようと思う。沖縄 慰安婦に対する作品も作る考えだ」
なんて語っていたという話で、今回の事故は東電による陰謀説まで出ているようだ。
ともあれ、不思議な事に2chで若い連中が、監督に対し、的外れな中傷を繰り返しているが、確かに、現代史を教えてこなかった教育の弊害がこんなところにも如実に現れているようだ。もともと、守るべき信念も事実への確信も育ってこなかったんだから仕方がないのかもしれない。彼らの歴史への執着は、写真を集めるレプリカントみたいなモンだ。
AVビデオでのみ性の知識を蓄えた少年が、初体験で顔射をあせったという笑い話にもならない現象と似ている。生半可な知識とデマが行動の動機を決定付ける。でも、これを笑っていられるのはまだ、彼らが無意識に育てている怪物が成長していないからだぞ。
迷信が事実として、常識と入れ替わり、無知蒙昧を取り込んだ社会的潮流になって暴れまわるという現象は今後いつでも起こりうる。今回の中国の反日暴動も然り。支配者にとって、とても扱いやすい暴力装置になることが証明された。・・・というか中国はそればっかり。文化大革命が残した数少ない成果だ。
極端な話にこそ真実が宿っているような錯覚が支配的な昨今の論調だ。とても勇ましく頼もしく思われ、若い連中を中心にひきつける魅力を持っている。もっとも、真実は宿るものなんかじゃないんだが。(真実なんて、宿るどころか、まとう物だと言う意見もあるでしょうが・・・)
サミュエル・ジョンソンは、「愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」と言った。ネトウヨ(ネット上の右翼シンパ)を見ていると、つくづく事実であると思う。
声のデカイ者が他を圧倒し、冷静で責任感のある人間は同じ場所に立ち続けることも危うくなって行く。ネトウヨは顔を出さないですむからなおさら無責任で大胆なことがいえるわけだ。
ネットの中で、特にリアルが残念な連中を中心に、自分たちで作り上げた、軽薄なナショナリズム的連帯感が支配している気がする。
それでも、時代が傾斜してゆく現場に立ち会っているんだろうか?と、ふと、心配になったりもする。東条英機ですら好戦的な市井の声にあきれていたという。いざ取り返しのつかない結末を迎えたとしても、当時の好戦的な市井の声をあげていた多数の人々は被害者面をして施政者をなじる事で罪を逃れたようにネトウヨも無関係を決め込むだけなのだけは分かっている。だが、数の論理は常識やモラルなんてあっという間に乗り越えるからね。
国益がどうとかとか、分かったような分からんようなことで監督を貶めようとする書き込みにはうんざりするが、ご本人はヤツラにいくらなじられても屁でもないどころか、足に絡まっている事に気がつきもしなかったんじゃないか?
昔、社会的なルールを無視する度合いが極端なほど尊敬される反社会的な組織にあっても、その中でしか通用しないローカルルールは堅持されていた。そこを構成するアウトローにしても、ホントは守るべきルールを渇望していたんだな。それだけ守る価値のあるルールという意味だが。
そのためには求心力としてのカリスマが絶対必要不可欠だ。この世界にあっては、度胸と腕力と知力と人徳がものを言う、野生の復活こそ希求してやまない永遠のテーマだったはずだ!かつての、少年たちの血沸き肉踊る興奮は正義感と一体となって、人格を形成したはずだ。
これは、民主主義とは相容れない美意識の問題だ。でもそれは政治家にも、教師にも、医者にも求められる気質なのだ。ホントはね。
このあたりの定規を持たない輩が正義を語っても、人の共感は得られないが、不思議な事に戦後の教育はこれらの義侠心(と言い換えても良いと思うが)を理性で駆逐する事を推し進めて、最終的には無価値な前時代的遺物として葬り去った。それなのに口では助け合いや思いやりを強調する一方で、狡猾な犯罪者の人権を被害者を踏みにじってまで擁護するやからを理性のある文化人扱いする。これじゃ、子供たちがノイローゼにもなるよ。生まれながらにHAL9000と同じ目にあっているんだ、今の子供たちは。
義侠心に由来する行動は理屈ではなく、リビドーに近いものだから教育の現場で更生させようとか言っても、音楽の知識を文章で説明しているようなもんで土台無理な話。そもそも、更生すべき種類のものだったのか?みんなだまされてるぞ!戦後民主主義に!つまりはアメリカの植民地政策って事なんだが。
義侠心なんてものがなまじ大事にされた上に、短慮なおっちょこちょいが戦闘力を持ったらなかなか手ごわいんで、戦後民主主義はこれを無力化するために理性を重んじ義侠心を軽蔑すべき古い概念として教育したんで、熱き心の捨て所をなくした若者たちがノイローゼになって行った訳さ、きっとね。まあ、結果的には民主主義なんて日本には結局根付かなかったんだけど・・・というか、日本ローカル版民主主義というへんてこなものは出来上がったわけだが。
戦後の混乱を救うために現地入りするアメリカのスタッフはきっと否定するだろうが、更に上部の意思は、いつも完璧な平和や安定が現地にもたらされないように、何らかの混乱が常にその国を泥沼に留める装置を用意することにあると思うんだがどうだろう?あの偽書「シオンの議定書」にある、長老たちが世界を支配するための知恵のようなもんだ。
日本に対しては、この分裂症的ジレンマを内包した教育方針だったんじゃないか?アンビバレンツ注入方式だ。ばっちり効いてる。
・・・と、そこまでアメリカが計算していたかどうかは分からんが、あまりに完璧な混乱が今の日本を支配してるから。まあ、アメリカ本国も混乱してるんだが。ますます「シオンの議定書」のとおりに崩れて行ってるぞ。
おっと脱線しちまったぜ。つまり、若松孝二監督の怒りは、この出来損ないの民主主義に対するものだったんじゃないか思うわけだ。
何かに寄りかかったり、追随したり、甘えたり、要するに腑抜けに対していつも怒っていたんじゃないのか?その意味では我が愛してやまない故忌野清志郎氏の若い時分とも似てるなあ。・・・というか、昔若者って、みんな何かに怒ってなかったっけ?若い頃の故忌野清志郎氏は、あのメイクをしないときはごくシャイな若者だったんだよね。「スローバラード」の歌詞の構造はまるでドグラマグラだった。入れ子になっているんだ、構造が。カッコいいなあ!
また脱線しちまった!・・・戦後から今に続く日本の「野生が開放される事」を極端に禁止してきた平和偏重の代償がいろいろなところで決済を迫られている。陰湿ないじめの蔓延や、シロアリ的に社会の財産を食いつぶす天下りの役人OB。退廃と無気力に支配された若者。生ぬるい正義を振りかざし、理論武装した弁護士、保身に走る教師、政治家!挙句の果てにこんな社会に絶望して自殺する若者。だんだん腹が立ってきたぞ!
誰も責任を取らないというこの国の体質は、第二次大戦で責任を取る人物が早々に全滅してしまい、残りも極東裁判でみんな一掃されてしまって以来、延々と続いていて、その後姿を見て育った若者に、自分の言動に責任を持てといっても唇が寒かろうというものだ。だが、怒ってるんだ!ほんとに!みんな!・・・ほんとはね。
そうか、分かったぞ。若松孝二監督の本質は怒り!そして向ける先は、「最初は怒っていたはずなのに、やがてあきらめて、自分が軽蔑してやまなかった怒りの矛先にあったバカの姿にすっかり成り代わってしまっている事に全然気がつかない有象無象」だ。あー長いな。
DVD ― 2012年09月04日 02:16
おい、このDVDをかい!お前の目は節穴か!ってレベルだけど、安く買えたんでそれはそれでよかったよかった(T_T)
レンタル落ちだけどね。
ガリバーの宇宙旅行
絶版ではないんで、今でも手に入るものではあるんだけど。東映動画は心の古里。
キャラクターが色っぽいぞ。あの靴の色気はなんなんだ!テッドのネッカチーフは当時のお洒落の必須アイテムだ。西遊記の小鬼もつけていたぞ。最近では自動車保険のCMで瀧本美織さんが60年代っぽい衣装で登場!いいなあ、ネッカチーフ。
森康二さんが原画、宮崎駿氏は動画でクレジットされている。他にもすごい名前がいっぱい。
でものテッドの声の坂本九は、やっぱり違和感100万倍だ。「長靴を履いた猫」でのピエールの声藤田 淑子さんにしてほしかった。当時、彼女の声にしびれていたなあ。
ベルヴィル・ランデブー
フランス人アニメーター、シルヴァン・ショメの長編デビュー作なんだけど、ケチがついたんだ。
シルヴァン・ショメはニコラ・ド・クレシーというバンドデシネの超カッコイイ作家(大友師匠の「大砲の町」のキャラもド・クレシーにインスパイアされている)とアングレームの高等視覚芸術院(École supérieure de l'image)で知り合って、その後一緒にいろいろ仕事をしているんだが、このアニメにはスタッフロールにド・クレシーの名はない。
なので、このアニメはド・クレシーの作品の模倣だと、批判されたのだ。つまりパクリっちゅうこと。その後の論争はどうなったかは知らない。どうなったんだろう。
ちなみに、スチームボーイのときに、ド・クレシーにスチーム城のデザインをお願いしたけど、大友師匠の気に入ったものにはならなかったという経緯があった。
アンジェラ
リュックベッソンといえば、『レオン』!な人には、ジャン・レノはキーマンでしょ?この映画はつまらん!いや、ドラエモンだ!そうか、ドラエモンだったのか!という人が多い中、あの超素敵なCM、ジャン・レノのドラエモンが想起される。というわけで、この映画からあのCMがインスパイアされたんではないかと思っているのだ。
どうでもいいけど、このジャケットのデザインはひどいね。内容は何も伝わらない。こんな事は許されるんだろうか?発売する側にも興味はなかったってこと?これでOKが出た経緯が理解できない!
ルシアンの青春
「死刑台のエレベーター」のルイ・マル監督作品。この映画を見ていると、無教養でおろかで、どうしようもなく情けない若者って、演じているんではなく、本当に無教養でおろかでどうしようもなく情けない若者にしか見えない。その時点ですでに傑作!
普通だったらどうしようもない位、磐石な人間を隔てる垣根(社会的地位とか、身分とか)が、何らかの社会的な異変で取っ払われるとき、おそらく不自然な人間関係が再構築され、こんな風に、無教養でおろかでどうしようもなく情けない若者に出番が回って来る。いつでもどんな時代でも、もちろんこれからも、彼は出現し、どこかで問題を起こすんだ。
安く買えてうれしいんだか、がっかりなんだか、複雑・・・。
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